現役の理学療法士が考える ここが問題、理学療法士業界

1 技術ばかり求めて、患者さんの生活、尊厳は後回しな理学療法士

病院で関わる患者さんの8割以上は間違いなく、入院する前と身体の状況が大きく異なっています。

それは、ほとんどの場合でマイナスな変化であり、お身体の回復を望まれていることはもちろんですが、時としてお身体の変化と向き合いながら心の整理をし、新しい生活をともに構築していくことが理学療法士には求められます。

しかし、すべての理学療法士が人として患者様に寄り添う心を持っているかといわれると大きな疑問が残る場面も数多くみてきました。

研修会やセミナーで習ったその場だけの技術をまるで自分の復習かのように繰り返し、患者さんは置いてきぼりになっている場面を幾度となく見てきました。

1つ印象の残っていることがあります。

その患者さんの希望はもう1度、油絵を描けるようになりたいとのことでした。

それでも、その理学療法士は40~60分ある理学療法の提供時間の内、8割を横になってひたすら先週末行ってきたセミナーで習っただけの手技を提供し続けていました。

やった直後、目に見える変化があるわけでもなく、絵が描くための要素が何か達成できているわけでもありません。

それでも首をかしげながら何度もその手技を繰り返していました。

理学療法の本質は一体どこに行ったのでしょうか?

これは一体誰のリハビリの時間なのでしょうか?

絵を描くという動作は簡単なように見えて実はとても複合的な動きです。

椅子の上に座り、筆に手を伸ばし、どのような絵を描くか構成し、実際に下書きをし、色を塗っていく。

その色がどんな何色なのか、どのように描くのかを考え、判断しなければいけません。

書いている間座り続ける体力や画材に手を伸ばすバランス能力、書いている最中、疲れてきたら姿勢を自力で変える能力も必要です。

その1つ1つの動きができるのか、できないのであればなぜできないのか、できるようになるには何が必要なのか、できた先に患者さんはどんな気持ちでどんな生活を送ることができるのか。

それらすべてを評価して、患者さんの要望とすり合わせながら治療するのが理学療法士の仕事です。

決して病気や動きそのものを治すことだけではありません。

理学療法士が最も頻繁に使う言葉にリハビリテーションがあります。

語源は『Re:(再び)+habilis(適した、ふさわしい)』、すなわち『再び、その人らしさに適した状態になる』という意味です。

ただ単純に機能や動きを治すという意味はリハビリテーションには含まれていません。

ましてや、理学療法士が主役になるリハビリテーションはもってのほかです。

もちろん、機能の回復を求めることは大切です。

しかし、それだけでは理学療法士として十分とは決して言えません。

理学療法士がなぜ、リハビリテーションスタッフと言われるのが、リハビリの専門家と言われるのか今一度考え直さなければいけない局面に立っている人は意外に多いのではないのでしょうか。

リハビリテーションはあくまでも提供するものであって、実行しているのは患者さんです。

主役は患者さんですし、患者さんのために私たちがいることは絶対に忘れてはいけません。

すべては患者さんがもう1度自分らしい生活の作り上げるための手段でしかないのです。

2 所属施設による組織やリハビリテーションに対する意識の差

理学療法士は一般的にどこかの組織に所属してリハビリテーション業務を行うことが多いです。

厚生労働省のデータでは、入院病床を有する病院は全国に3,736施設、介護老人保健施設は4,279施設ある(令和3年)とされており、大多数の理学療法士はこの中のどこかの施設に所属しています。

これだけたくさんの施設があるなか、すべての組織、すべての理学療法士が同レベルで研鑽を積んでいるかというと残念ながらそうではないのが現状です。

組織的にしっかりとした教育システムを構築し、個々人が対象の方のために質の高い、本人に合わせたリハビリテーションを行おうと努力しているところもあれば、研鑽の度合いは完全に個人任せの施設もあります。

その中で何が生じてしまうかというと、病院や施設によって『リハビリテーションの質』に大きな差が生まれます。

事実、訪問リハビリテーションや保険内での訪問介入を行っている間は生き生きとその人らしく生活していたのに、ご家族さんや家の都合でリハビリ提供のある施設に入居した1か月後には歩けなくなってしまったなどという残念な話も耳にします。

訪問リハビリテーションではお身体に合わせてメニューを組み、必要な歩行練習や起立練習などを組み合わせてリハビリテーション行っていた方が、施設で関節を20分のみ動かすだけのリハビリテーションを1ヶ月提供されてはどのように変化するかは明白です。

行っている理学療法士は悪気なく行っている場合もあり、これは個人の問題ではなく組織的なリハビリテーションの必要性に対する意識の問題です。

正しい知識をつけることも重要ですが、正しい知識がなぜ必要なのかという意識、動機付けを行う必要が組織にはあります。

実際に、私が新卒当初に働いていた病院では毎週、何かしらの研修会や講習会などが行われ、チームごとや担当ごと、リハビリテーション科内で年数関係なくほぼ毎日、意見交換会が行われていました。

私自身そこで自分の理学療法士としての技術、理学療法士としての考え方、患者さんに対する接し方、人の今後の人生に触れているという心構えを学んだつもりです。

その後、職場を変え、次の職場は良くも悪くもとても自由に勉強できました。

私は1つ目の職場は新卒で入職しているので、頻繁な意見交換があるのが当たり前だと思っていたのですが、その職場では勉強会はまずまずあるにしろ、あまり意見交換などは積極的ではなく、個人の力量に合わせていた部分が大きかったように感じます。

この部分の差は非常に大きいです。

治療以外にも患者さんに対する療法士としての心構えは、他人の意見を聞くと寝耳に水であることがよくあります。

それは、個人の感性や人間性の部分も大きくかかわるため仕方のないことです。

しかし、その部分をないがしろにし、個人の研鑽に任せていては当然、施設間によるリハビリテーションの質に差が出てしまいます。

このことが事実としてあることで、最も不利益を被っているのは利用される方です。

近くにたまたまリハビリテーションに対する意識が低い組織しかなく、質の高いリハビリテーションを受けられず歩けなくなってしまったことを単純に運がなかっただけで済ませてはいけないのです。

加えて、この事実を利用者様自身は知ることができません。

その施設が質の高いリハビリテーションを提供してくれるかは入所してからしかわからないということと、専門スタッフ以外は非常にわかりづらいからです。

日本各地、どのような地域にも利用者さんはいます。

どの施設でリハビリテーションを受けたとしても、ある程度高い水準のリハビリテーションを担保し、その人らしさを失わせてしまうリハビリテーションを提供していては理学療法士の存在価値がなくなってしまいます。

この問題は高い水準のリハビリテーションを提供している人だけでなく、全国の理学療法士全体が考えなければいけない問題であり、いますぐに変えるべき問題であると思っています。

間違っても受ける組織によってリハビリテーションの質が、ひいてはその人らしい人生を送る寿命が縮まるようなことがあってはなりません。しかし現実ではそれが起こっています。

3 理学療法士としての社会的地位が下がってきている

現在、理学療法士は全国に19万人いるとされています。

10年前は9万人程度だったにもかかわらず、倍以上にまで増えており、現在も増加傾向です。

世界には約65万人の理学療法士免許保有者がいるとされていますが、世界の理学療法士のうち約1/3が日本にいることになります。

世界との人数の比率からみて日本の理学療法士業界の異常性が見て取れると思いますが、もっと問題なのは、日本の理学療法士はここ10年で結果を出せなかったという点です。

国は介護保険制度を2000年に創設しました。

目的は高齢化や核家族化が進む日本においての社会全体で高齢者を支えることでした。

その中の健康寿命の延命と健康促進を託されたのが理学療法士です。

しかし、介護保険が設立されてから23年経った現在、平均してたった3歳しか健康寿命は伸びていません。

2020年、介護費用には約10兆のお金が使われています。

介護保険自己負担額は1~3割ですから、その中の少なくとも7兆以上は税金による予算です。

7兆円以上の税金を全体での事業費としてお預かりし、これだけの人数がいながら健康寿命を3歳しか伸ばせなかった理学療法士の社会的な地位が低下するのは当然ではないでしょうか?

理由としては人数が多すぎるあまり、理学療法士となってから勉強する人としない人の差があまりにも大きすぎるからです。

私は毎日、終業後に勉強や練習をしている理学療法士をたくさん見てきました。

その2倍くらい、全く勉強をしていない人も知っています。

ましてや、予定のリハビリ時間は話しているだけで、患者さんと話すこと以外は全く何もしない理学療法士の話も聞いたことがあります。

理学療法士業界全体で結果を出す必要性を感じ、問題点に対して立ち向かっていけていないのです。

それでも、なぜ理学療法士が生き続けられているのかというと、病院が医療保険や介護保険で診療報酬という形で国からもらっているからです。

事実として、理学療法士の平均給与は15年間下がり続けています。

日本全体でみれば30年間平均給与はおおむね横ばいであるにも関わらず、理学療法士は下がっているのです。

それも当たり前です。

会社でいえば利益を上げてこない人をいつまでも雇い続ける会社はありません。

もしかすると、理学療法士は今後も給料が下がり続ける可能性はあります。

その中で生き残るためにも確かな知識、技術、結果を残していかなければならないという気構えがなければ理学療法士の社会的地位は保たれないでしょう。

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