国立病院リハビリ科の医師
転倒し腰椎を圧迫骨折した後に、高齢者として実際にリハビリを行ってきた、元新聞記者の島田とみ子さんによるリハビリ体験記「転んだあとの杖」には、歩行困難者となった島田さんご自身が、「もっとしっかりと歩けるようになりたい」と訪れた、国立病院のリハビリ科の実際の対応について記されています。
引用元 : 島田とみ子『転んだあとの杖ー老いと障害とー』(未来社・118頁4行目以下)
国立病院のリハビリ科二カ所と、国立のリハビリ施設一カ所を受診した。(中略)
三カ所とも私に対する対応は冷たく、来なくてもよいと言わんばかりの扱いを受けた。それも理由をはっきり言ってのことなら納得するが、そうでもなく、まことにお粗末な扱いであった。
国立〇〇病院のリハビリ科の部長と思われる人は、私が関東病院のペインクリニック科へ通っていると、話したところー「 (中略) あそこへ行っているのなら、同じことだからこちらへは来なくてもよい」
突然こんなことを言われて、私は理解できなかった。ここはリハビリをする科だ。痛みをとるペインクリニックと何の関係があろう。どういう意味でこんなことを言うのだろう。
ここでもペインをやっているのか……と考えこんでいたら、医者は診療とは何の関係もない暴言をつぎつぎに言い出した。(中略)
私は体の筋肉を鍛えるリハビリを期待して行ったのだが、そちらの方は全くなかった。失望と不快感で「もう来るものか」と思いながら帰りかけた。
※ 本書では国立〇〇病院とは記載されていませんが、本ページ上では国立〇〇病院と記載しました。
女性である島田さんは、国立〇〇病院のリハビリ科の医者による診察の中で、自分の話をまったく聞いてもらえなかったこと、3名の研修医の目前で下着姿にされて、標本扱いされ、一方的に杖を切られ、新しいコルセットを買わされ、痛み止めの注射を打たれて帰された経緯を記されています。
リハビリ維持期にある島田さんは「もっと歩けるようになりたい」「リハビリをやりたい」「専門的なリハビリの方法を知りたい」という明確な意思をもっていました。
しかし、リハビリ科の医者は、島田さんの意図を汲むことも、相談にのることもしませんでした。島田さんのシンプルで明確な意思にさえ気づいていなかった可能性があります。
病気やケガで国立病院や大病院にかかった経験がある人であれば、島田さんが受けた上記の診察がどのようなものだったのか、そして島田さんが受けた診察の嫌な空気感などが、十分に理解できる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
国立病院や大病院にかかって、「明らかにおかしな経験をした」「理解し難い経験をした」「ひどい経験をした」という話はよく聞かれます。この種の話題に関しては、話題に遭遇する確率も、話の内容も、噂話の次元を超えています。私も実際にひどい経験をしています。
雑な診察、上から目線、高圧的な態度、患者と目を合わせない、理解し難い場面で笑う、説明をしない、話を聞かない、高額の薬を使わせるだけ、経験がある方は多いのではないでしょうか。
私自身のプライベートを含めた経験や情報 (私自身、親類、知人の経験、仕事の上での私自身の経験や情報) からも、国立病院や大病院自体、そしてその中で働く医者という存在は、一風変わった存在、 (身体を預けるという意味からも) 気をつけなければならない存在と言えます。
当然すべての医者がそうであるとは言いませんが、10代、20代の、まだ子供といえる時代の、恵まれた環境、一時の集中した勉強の結果で、若くして高給取りになってしまう現在のシステムでは、大きな勘違いをした人間 (医者) を生んでしまうのも仕方のない現実のように思います。
現在のシステム (医師免許に更新制度はない) では、大きな勘違いをした若い医者が、そのまま50代、60代と年齢を重ねていくシステムにあります。
日本に信じ難い態度や言動をとる医者が数多く存在し続けるのは、このシステムに一因があります。
島田さんはリハビリが必要な状態、また、リハビリに対するモチベーションが非常に高い状態で上記の国立病院のリハビリ科を訪れています。
しかし、ただ年寄り扱いされ、まともな話さえできず、痛み止めの注射を打たれ、リハビリに関する助言やリハビリ自体を受けることは叶わず、わけがわからぬまま帰されています。
いわゆる「いい加減」はどのような肩書きの組織にも見られることです。
現在では当然のことですが、国立病院や国立の施設、国立の先生だから大丈夫という考えはまず捨てるべきです。
施設や在宅で基本動作訓練等の業務を行ってきた私自身の経験からも言えることですが、高齢者や、骨折後の後遺症、脳梗塞後遺症の症状をもつ方々が維持期のリハビリを行っていく上で、病院や医者が協力的である、環境が整っているとは言い難く、十分なリハビリや対応が提供されていない現実があります。
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